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近いようで遠い

チャイナマネーによる日本でのM&Aは多くの問題を引き起こした。しかし、そこには希望も見える。

—Michele Scrimenti

中国の企業は猛烈な勢いで海外に進出しつつある。そしてそのターゲットは日本であると思われている。

 昨年、中国最大の飲料水メーカーである娃哈哈(ワハハ)の創業者兼代表取締役の宗慶後氏(Zong Qing hou)が北京で記者会見を開いた。宋氏はあるデータによると中国一の富豪とされているが、その日の記者会見では特に興味深い話題は出ないだろうと見られていた。ところが、なにげなく放ったコメントが株の急上昇をもたらした。
 「我々は日本の乳製品会社を買収するかもしれない。日本人はとても勤勉だ。乳製品に関して、彼らの技術は非常に優れている」と宋氏が言ったのだ。記者にとってはこのコメントで十分であった。数時間内にインターネット上で「中国の飲料水メーカーのワハハが日本の乳製品企業買収に興味を持っている」というニュースが掲載されたのだ。宋氏は社名については触れなかった。実際に彼は買収について二言三言しか発言していなかった。しかし、それは日本の乳製品トップである雪印メグミルクおよび森永乳業の株価を上昇させるのに十分だった。後にワハハが買収について否定した後も株価が7%もアップした。現在のところ、ワハハは日本において買収をしていない。「投資家はトリガーハッピー(むやみに銃を撃ちたがる)になりうる」という使い古された教訓以上の状況を示唆している。
 5年前であれば、誰も宋氏の記者発表に反応しなかったであろう。昨年、投資家達の行動に変化があったのには理由がある。それは、中国の企業は猛烈な勢いで海外に進出しつつあり、そのターゲットは日本であると思われているからだ。
長江商学院で会計学も教授する項兵学院長による最近の事例研究でもわかるように、中国企業による日本企業M&Aの結果は千差万別である。しかし、特定のケースを深く探求する前に、このような日本における海外企業による買収の第一波に注目してみる事がその問題点の理解には重要である。

日本では控えめに
 1990年1月、日本の不動産市場のバブルが弾け始めた。株価や不動産価格が急激に下がり多くの会社が倒産し、銀行は多額の未払いローンで身動きができなくなった。その後数年にわたり欧米企業と投資家達は合併と買収のチャンスを求めて企業の残骸のなかを徹底的に調査したが、そのほとんどが失敗に終わった。
 ウォールストリートにある複数の主要な投資信託会社や投資銀行で30年間グローバル投資管理に関わった経験を持つDaniel Duane博士によると、それにはいくつかの理由がある。
 「そのような投資家達にはいくつかの共通する特徴がある。彼らは北米スタイルの物言う投資家のスキルを持ち合わせていた。しかし、日本の習慣もしくは文化に関する知識を持っていなかった。」Duane博士によると、文化面での無知は致命的だということだ。投資家は敵対的買収を突然仕掛け、買収した会社を完全な管理下に置き、問題を抱えた企業と肥大化した複合企業を取り込む。このような買収は日本の従業員および一般市民から反発を買うと言う。
 Duane博士はもうひとつ、欧米企業が犯した致命的な過ちがあると言う。「彼らは利益を取り戻すため、経営陣の刷新、余剰従業員の解雇、オペレーションの効率化に伴うリストラを実施しようとした。」年功序列と安定性による厳格なピラミッド型と終身雇用に基づく社会では、これらは受け入れがたいことだった。最終的には、ほとんどの欧米の投資家達が自らの計画を縮小するか、または完全に日本を諦めた。

中国の出番
 過去10年、欧米企業は日本から手を引き中国企業が登場した。彼らは欧米企業より上手く経営できただろうか?項兵学院長の最近の研究に登場したサンテックのケースは、この質問への答えを示している。

中国企業の日本におけるM&Aターゲット(業種別)
金融(2.2%) セラミック製造(2%) 自動車メーカー(8.7%)
サービス(8.7%) エネルギー(8.7%)  
機械製造(13%) コンピュータ/IT(26.1%)  
電気製品製造(15.2%) 繊維製品(4.3%) 化学薬品(10.9%)

 

「中国企業が犯す大きな失敗のひとつは、海外M&Aを実施する際に巨大企業、なかでも深い問題を抱える巨大企業を狙うことである。中国企業には(業績が悪化している企業を立て直した)素晴らしい実績がない。」

—滕斌聖長江商学院ヨーロッパ地区担当副学院長、戦略論准教授

 

「日本企業の買収は非常に難しい。しかし、チャレンジを恐れて諦めていては大きなチャンスを逃すことになる。」

—施正栄(Shi Zheng rong)サンテックCEO 

 2001年、無錫の地方政府に会社設立計画を持って接触を始めたとき、施氏は典型的な帰国したての中国の学者だった。オーストラリアで太陽電池の研究でノーベル賞を受賞した科学者に師事し、博士号を取得した施氏は、中国初の本格的なソーラー分野の競争に参入することを強く望んでいた。
 中国において設置されたソーラーの容量については、事実上10年前は存在しなったにも関わらず、政府は太陽光発電(PV)製造分野に将来性を見出した。こうしてサンテックは生まれた。当初、施氏は株式の25%を、無錫政府は残りの75%を所有していた。多くの産業が生産基地を中国へシフトしていた初期段階、サンテックは中国の安価な労働力と製造コストで競争することができた。3年以内に、施氏の企業はその発電量において、グローバルソーラー企業のトップ10に入った。しかし、2004年、中国において成長を遂げた太陽光発電企業の第一波はサンテックを打撃し始め、低価格だけでは中国のリーダーの地位に就けなくなった。
 同じ時期に日本では自由市場政策を推し進めていた小泉政権が、突然気前の良い太陽光発電補助金を打ち切った。この補助金制度は、シャープが太陽光発電の分野で世界のリーダーとなる大きな手助けとなったものだ。経費削減のプレッシャーの下、シャープは多くの部品製造業社との契約を打ち切り、低価格で提供していた国外のOEM(相手先商標製品の製造会社)に頼った。50年の歴史を持つ太陽電池メーカーのMSKは、利益のほとんどをシャープとの契約から得ており、救世主が現れない限り窮地に立つことは必至だった。
 経験豊かな施氏はこのチャンスを捉えMSKを買収した。この日本企業は部品製造に関する高度な技術を持っているだけでなく、日本市場への参入のチャンスをサンテックにもたらすかもしれないからだ。
 2006年、サンテックは3億ドルで経営不振に陥ったMSKを買収した。これは当時、中国企業による海外での買収としては史上最高額だった。サンテックの株価は急上昇し、フォーブスには中国一の富豪として施正栄氏が紹介された。しかし、施氏の日本での蜜月期は長く続かなかった。MSKを立て直そうと奮闘している間、日本の一般市民による反対から内部紛争まで様々な問題にぶちあたった。


(上海の郊外、無錫にあるソーラーパネルが設置されたサンテック本社。ここは世界最大の太陽電池の製造工場でもある。)

成長に伴う痛み
 問題はMSKの財政状態だった。「中国企業が犯す大きな問題のひとつは、海外M&Aを実施する際、巨大企業、中でも深い問題を抱える巨大企業を狙うことである。中国企業には、業績が悪化している企業の再建において秀でた実績がない。」滕斌聖長江商学院ヨーロッパ地区担当副学院長、戦略論准教授は言う。非上場会社であるMSKは、投資家向け情報公開の経験がなかった。サンテックは、MSKが実際にどれほど困窮していたのか、全く理解していなかった。
 明確だったのは、サンテックが初期段階のリサーチを十分にしていなかったということだ。約80%の日本の太陽電池は、家庭使用が目的の個人消費者向けに売られていた。他の主要な国では、大多数が太陽光発電所への販売だった。サンテックにとって、これは製品の外観からサイズに至るまで、新しい規格の条件を満たさなければならないということだ。サンテックは新たな市場にアピールするため、全製品を徹底的に点検しなければならなかった。
 MSKの労働組合から新たな問題が起きた。サンテックは、日本におけるR&Dは質が高く、投資の価値があるが、製造コストは中国に比べて高すぎると考えていた。サンテックがMSKのとある工場を閉鎖し、工員を解雇することを決定した際は、メディアが猛反対に火をつけ、一般市民は激怒した。最終的には、閉鎖されるはずだった工場の従業員が日本の法律で定められている権利を行使し、自分達の工場を買収した。その工場はサンテックの競合他社として今も運営され続けている。
 妥協はしない施氏だがチャイナ・エコノミック・レポートの中では申し訳なさそうに語っている。「どこの会社だって従業員の解雇はしたくない。しかし、会社の生き残りのためには仕方がなかった。そして。日本の終身雇用システムは、実は多くの会社で生存上の障害となっている。」
 中国企業が日本市場の開拓を試みる際に直面する他の主な問題は、硬く閉ざされている販売およびサプライチェーンを打開しなければならないことだ。中国科学院のレポートによると、日本の70%のサプライチェーンと物流は国内の複合企業によって寡占されている。MSKの商品の流通はシャープの担当であったが、サンテック買収によりチャネルを失ってしまった。
 ここでサンテックは独創性を発揮した。従来の販売チャネルに乗せることに失敗した後、サンテックはもともと太陽電池を販売していなかった家電販売店やその他の小売業者と契約を結んだ。日本の複合企業に挑む革新的な方法は、ある一定の成功を収めたが、サンテックは未だ大きな市場シェアを増やすことに苦労している。

文化の衝突
 サンテックが克服しなければならなかった最後の課題は、文化である。MSKはサンテックの買収を歓迎したが、買収は当初、ほとんどの株主が反対していた。株主への同意勧誘を試みたMSKのCEOはついに買収が承認されなければ辞職すると迫った。株主達は最終的には渋々同意した。
 「このような反応は日本が島国である副産物だ。人々は他国に興味を示さない島国根性がある。」野村総合研究所(上海)のアナリストである皿田尚氏は言う。「人々は、このような状況を日本の危機と捉えます。そして、メディアはそれを煽り状況を悪化させることがあります。」
 買収を後押しした当時のCEOは、後にサンテックのリストラ計画の障害となる。彼は頑なにリストラ計画の多くの部分、特に従業員の解雇に反対した。サンテックは最終的にMSKの日本人社員の20%を人員削減しようとしていたため、計画は行き詰ってしまった。この日本人CEOの姿勢には対処出来ず、施氏は2年間その後任を探し続けた。そして、ビデオゲーム開発を手がけるセガから多国籍企業での豊富な経験を持つ経営幹部を引き抜いた。新CEOは収益志向の経営ビジョンを持っており、再建計画を実行しMSKは黒字転換した。
 買収から6年後、サンテックはその設備と容量において太陽光発電製造における世界のリーダーとなった。これはMSK買収と、日本市場参入が少なからず寄与している。1990年代初頭の多くの欧米企業とは違い、サンテックはただ諦めることよりも、適応と革新を学んだ。明らかにそれは容易なことでなかった。これについて施氏は最後のアドバイスとして、「成功は粘り強さからくる。日本企業の買収は非常に難しい。しかし、チャレンジを恐れて諦めていては、大きなチャンスを逃すことになる。」と語っている。

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